【意味】一粒の籾(もみ)が万倍にも実る稲穂になるということから、わずかなものが非常に
    大きく成長することのたとえ。また、少しでも粗末にできないという気持ちをも表す。

TPP参加加盟国との交渉参加への舵きりから、メディアでの「日本のコメ食」についての報道を
見るようになりました。折をみて生徒さんたちに聞いてみると、「地元のコメの方が美味しいから
外国のコメが安くても食べないと思う」という答えが圧倒的に多く聞かれました。
しかし、よく行くファミリーレストランや食堂で出されているご飯がどこのお米なのか?と聞くと
誰一人、答えられませんでした。これは当然のことと言えるでしょう。

日本人にとって、特に新潟県の人たちにとってお米というのはとても身近で、当たり前の存在だと
思います。普段口にしているお米はほぼ国内産・県内産と思って食べているのは、子どもだけでなく
大人でも当てはまるでしょう。しかし、外食などで出されているご飯のなかにある割合で外国産の
コメが入るようになったとしたら、果たしてどれくらいの人がその違いに気づけるでしょうか。

子どもの頃からよく「お茶碗一膳分のお米は、田んぼに新聞紙を広げた面積分の稲からとれる」と
聞かされてきました。TPPに参加するしないという議論もそうですが、当たり前になってしまっている
【一粒のありがたみ】を再認識するいい機会なのだと思います。それはコメに限った話ではなく、
普段の食卓や生活で欠かせないものが、どのように作られ・届けられているかを考えてみたいものです。